申し込んでいたのだが、
ショウゴが学校の行事が出来たということで
残念ながら一人での参加となった。
申し込みする時は、
ケイスケもユウタも「ボクも行く、行く!」といって
大騒ぎだったのだが、小学5年生以上が条件だったため、
「ナットク!」の二人だったのだが、
ショウゴまでだめになるとは…トホホであった。
ショウゴには、是非見せたいところだったので…!
そんな訳で一人で参加のムッチーグランパは
待ち合わせの京王線高尾駅南口駅前へ。
もうすでに、ガイドさんたちは集合していて、
参加者も次第に集まって来ました。

高尾駅から徒歩約10分ほどで地下壕への入り口前へ。
住宅と住宅の間にあるすだれの部分が入り口です。

住宅の持ち主のご協力で、玄関前から入って地下壕へ。

普段は締められている鉄格子をくぐって、
いよいよ地下壕へ入ります。

幅4m、高さ3mの淺川地下壕は、
日本が太平洋戦争で負け始めた1944年(昭和19年)8月に、
本土決戦に備えた武器や軍需品などの備蓄倉庫として、
日本のアチコチ(愛知県小牧、大阪府高槻、福岡県山家など)に作られたものと同じようなものでした。

この地下壕は、削岩機とダイナマイトで掘られていました。
この鉄骨の骨組みは、
1999年の調査時に発見された
火薬類の入った木箱141個と
屋根のついた火薬庫周辺の崩落を防ぐためにつくられたようです。

振り返るとさっき入った入り口が見えます。

参加者と比べて下さい。
大きなものでしょう!

こんな凄い地下壕が京王線高尾駅南口から
すぐ近くにあったのです。

岩盤の地下壕なので、
東大地震研究所の地震計が設置されています。

地下壕では、トロッコが使われていたとのことで、
その枕木の一部が残っていました。

忌まわしい戦争でしたが、
その歴史と未来の平和を考える学習の場として、
保存し公開できるようにしようと、
1997年に「淺川地下壕の保存をすすめる会」が結成されました。
今回見学のこの地下壕は、
長さ4.8kmもあり昼夜3交代で6ヶ月で完成したそうです。
様々な歴史を理解し、未来の平和を願うためにも、
このあたり一帯を残そうという市民運動も活発に進められています。
すでに、多くが民有地になっているため、
地下壕も一部しか入ることが出来ない状態で、
地下壕の中も民有地に入れないように
鉄格子で閉ざされていました。
この辺一帯は公有地にして保存されるべきだと思います。
この地下壕を見学して
二度と戦争は起こしてはならないという思いが
強くなった一日でした。

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